sprout

母で主婦で会社員の中年のもろもろの記録

2020年とオタクの思い出

今年は年末年始のお休みが長く、仕事始めが恐怖です。...なんて、わたしは明日(もう今日だ)もお休みをいただいています。すみません。新幹線が混むので平日に移動します。今のうちに会社メールを見ておきたいが見たくない…グダグダのせめぎ合い…

昨年末は、29日深夜に実家に着き、今日までひたすらダラダラ過ごしました。近所に住む2番目の弟一家がほぼ毎日のように夕食を食べに来るので、たいへん賑やかでした。娘は弟と弟嫁と従姉妹が大好きで、おばあちゃんも大大大好きで、今夜はすでにブルーになっていました。しかしわたしは早く家に帰りたくて息切れしています…実家とはいえ他人の家。わたしはもともと自分の家が大好きな引きこもりなのです。たいへんな出不精で旅行もきらい。

ここに子連れで居候させて貰っていたのはつい3年前のことですが、よく2年も一緒に住めたな…と思います。思えば小学生時代から、実家の散らかり具合に毎日イライラしていました。そう、母は片付けられない病…汚くても平気病…一人暮らしだというのに溢れるモノの洪水と埃とカビっぽさに気が遠くなります。帰省して3日でアレルギー症状のためドラッグストアへ走ることに。

恐ろしいのは父の家も更なる大量のモノで埋め尽くされていることです。わたしの両親はかれこれ20年来、徒歩1分の距離で別居しているのですが、2人とも終活だとか身辺整理などにはまったく興味がない様子です。元気な証拠ですね。けっこうなことです。しかし親問題を無視できない年頃です。長女のわたしは関東、長男は海外で、次男だけが地元に居を構えていますが、諸々を一手に引き受けられるとは思えない。娘のためにも親にはいつまでも元気でいてほしいですが、帰省するたびにぼんやりと不安にかられる…。

不毛な話はさておき、年も変わりましたので振り返ると、昨年はよい1年でした。まず、わたしの最大の頭痛の種である夫と表面上穏やかに生活できました。娘の小学校生活もここまでは大きな躓きなくこれました。後半はピアノを再開したことで生活にもう1頁が加わった気がします。それに、久々に漫画に耽溺して、再びその楽しさに目覚めました。すっかり忘れていたけど、わたしはたぶん中学生時代の一時期ゆるめのオタクでした。たしか薄い本も2,3冊持っていた。

これらを踏まえ?今年はさらに楽しい1年にしていこうと思います。このブログは当初、育児記録のようなものとして始めましたが、自分のことを書くことが増えました。子育てのステージも、わたしの生活も意識もだいぶ変わってきたのだと思います。娘に手がかからなくなったわけではないけれど、母親であることに慣れ、仕事も家事もせねばならないことに慣れ、それ以外のことも欲しくなってきたのでしょう。われながらよいことだと思います。

というわけで、このブログで引きつづき、日々の記録を細々と綴る所存です。数年後に読みかえしたとき、ちょっとした感慨や、この時こうだったのね、みたいな再発見があるといいなと思っています。

 

ちなみに、自分のオタク時代を思い出したきっかけが昨年ありましたので、書いておきます。

昨年12月、会社で引き継いだ仕事の一環で、社員を対象とした英語研修の打上げに参加したときのこと。おそらく20代前半の、金髪の愉快なイギリス人男性の英語講師が、話してみるとハードなオタクでした。新婚さんで、おそらく奥さん(日本人)もオタクで、わたしのまったく与り知らぬジャンルのアニメ?の自作の着ぐるみ?の写真を嬉しそうに見せてくれました。「ホントニスバラシイ」と連呼しておられ、こんなに日本の生活をエンジョイされていることを一日本人としてたいへん嬉しく思いました笑。コミケにも何度か遊びに行かれているようでしたし、もちろんBLや腐女子の存在もご存知でした。そして、たまたまわたしの正面に座っていた、まったく面識のなかった隠れオタクの男性社員も交え、その昔は「びーえる」ってことばはなかった、「YAOI」という単語があってね、その由来はね…と無駄な知識を授け、大いに意気投合したのでした。渋々参加した会でしたが、結果、すごくたのしかった…なんか色々思い出して感無量でした。

…そんな、しょうもない記録で終わります。こんな独りよがりな記事を読んでくださっている方、ありがとうございます。もしまたお目に触れることがあるなら、本年もどうぞよろしくお願いいたします。