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母で主婦で会社員の中年のもろもろの記録

墓と骨

鈴木氏の命日も過ぎ、あちこちの追悼式典にお邪魔して早くも夏を見送った気分です。で、お盆なので、なんとなく墓問題についてつらつら思うことを書き留めます。秘密の話ではない。

わたしの夫の実家は寺で、敷地内にお墓があります。熱心な檀家さんが多いのか、住宅街にある寺だからか?お盆に限らず、年中毎日誰かしらがお参りされているようです。当初びっくりしましたが、そういうものなんでしょうか。ちなみに夫は長男ですがサラリーマンで、色々あってここ数年帰省してません。住職は三男が継ぎます。曹洞宗で修業が大変厳しいです。

わたしの場合、祖父母の墓は両親とも遠方にあり、墓参りは夏のみで、年イチの行事でした。墓といえばはるばる行く場所で、それも中学入学ぐらいまでしか記憶がない。墓参りという行為にもまったくピンとこないまま。故人と関わりがなかった(会ったこともない)のと、信仰心というか、先祖を敬い感謝する心が薄いのでしょう…。いまでも墓参りって居心地が悪いです。石に向かって手を合わせる自分のポーズに薄ら寒い感じがする。幸いにも、大切な人を亡くすという経験がまだなくて、心がこもっていない。自分まで連綿と続いてくれた生に感謝する、というような謙虚さも欠けている。若輩者なだけかも。。。

で、例えば両親が亡くなって墓参りしたくなるかというと、ちょっと疑問を感じています。そもそも墓という場所に精神性を感じていないためかと思います。ただ、墓石の下には骨があって、それは故人の身体の一部だったものだから、想いを馳せる縁となるのかもしれません。だったら両親の骨は身近に置いておきたいなーと、数年前から思っています。墓って、故人と縁の深い、または代々引き継がれてきたような場所であって初めて、故人や先祖を偲ぶ空間の象徴として成り立つのでは。または信仰心や聖職者を信頼する気持ちがあれば、その場所を大切に思うようになるのかなあ。わたしは一応(ほんと一応)カトリック信者ですが、死後についての宗教的考え方には、まだ正直リアリティを感じられない。

わたしの両親は、自分用の墓を持っていない(父は次男だから?で母は父と同じ墓に入る気がない)ので、これから手配することになります。母は公園墓地だとか色々調べてはいますが、そこは、現在の居住地から近くて骨壷の保管に都合がいいという場所に過ぎません。母の故郷でもお気に入りの場所とかでもなく、わたしは今遠方に住んでいるので、頻繁に訪れることはできないでしょうし、参ってもやはりピンとこないことが想像できます。そもそも両親もわたしも、故郷と呼べる土地に今は住んでおらず、特定の場所に執着がありません。だからかなあ。だったら骨をちょっと分けてもらって、いつも身近に置いとく方がよくない?と思っています。思い出した時いつでも見て触れて合理的。小さくて収納も携帯もしやすい密閉容器がよい。墓石の前じゃないと偲べないということはないです。

ということを以前母に話したときは爆笑されました。まあ両親は自分の好きにしたらよいですが、わたしは自分の墓はいらないと思っています。死ぬまで離婚しなかったとしても夫と同じ墓に入ることには抵抗があります。娘に手間をかけさせるのも嫌ですが、意向は伝えて可能な限り簡略に済むよう手配しておきたいなーと思っています。

わたしの骨は、まずは火葬場でほんのちょっとだけ拾ってあとは引き取ってもらえるかどうか、遺族が確認。ちょっとの骨なら粉砕も自分でできます。保管容器は手のひらサイズでシンプルなものを自分で選んでおく。視界に入ってもちっちゃいオブジェ、棚にしまっても邪魔にならないサイズ。というのが理想です。骨を自宅に置くの、娘は嫌がるかな。。。

火葬後の骨を全部収骨すると、粉砕したい場合は業者に依頼することになりそうです。そして粉骨しても2-3リットルはあるらしく、これを処理するのはなかなか難しそうです。現時点で散骨を規制する法律はない(埋葬に関する法律はある)ようですが、適当にその辺に撒けるわけもない。散骨できる場所は限定されていて、意外と面倒です。

こういうことを考えるのは、今まさに母が墓問題に直面しているからかもしれません。母方の祖父の墓は、実家から車で片道4時間の場所にありますが、数年前まで母は、祖母の希望もあってほぼ毎月墓参りしていたと思います。ここ数年は年に4回ほどのようですが、母も高齢者なので、この長距離ドライブをいつまで続けるつもりなのか、わたしが不安に思っています。墓を移すことも検討はしているようですが。

そういうわけで、娘だって将来どこに住むことになるのか、ひとつの場所に何年居るのかまったく分かりませんから、墓があるという理由で特定の土地に縛られることがないといいなと思います。

以上、墓と骨についてでした。